稲垣稔次郎のプロフィール
稲垣稔次郎は、明治35年に京都で生まれた人間国宝作家です。父の竹次郎は日本画家として活躍した人物で、兄の仲静も日本画家として活躍しましたが、25歳という若さで逝去してしまいました。
稔次郎は、父や兄と同じく芸術の道を志し、大正11年に京都市美術工芸学校を卒業します。卒業後は、東京三越本店の図案部に就職、後に父と兄の急逝を受け、松坂屋京都支店の図案部に転職しました。
松坂屋の図案部での仕事の中で、稔次郎は友禅染めの図案者として活動し、同時に西陣織りの工場などを訪問し、染の技法を学びました。
稔次郎は、昭和6年に松坂屋を退職し染物職人として独立します。しかし、すぐに作品を発表することはせず、納得できる作品が出来上がるまで研究を続けました。
昭和15年に満を持して発表した「西瓜の図」は国画会賞を受賞し、稔次郎の名を一躍有名にしました。 稔次郎はその後、西陣織の染物作家である小合友之助らと行動をともにし、着物だけでなく、絵画や屏風絵など幅広く芸術活動を続けていきます。
代表的な作品としては、文展の特選を受賞した「善隣譜」、同じく文展の特選を受賞した「牡丹の図屏風」、日展の特選を受賞した「糊絵屏風松山之図」などが挙げられます。
稔次郎はそれらの数々の芸術活動から、その地位を確かなものにし昭和37年に人間国宝の指定を受けました。しかし、その1年後の昭和38年に稔次郎は悪性腫瘍によりこの世を去ってしまいます。
稲垣稔次郎の作品の特徴
稔次郎の作品は、型絵染という技法を用いて作られています。型絵染は、型紙や木彫りの型を用いて着物に絵付けを行う技法です。
稔次郎の型絵染は特に、「吊り」の制約をうまく作品に昇華させるテクニックに定評があります。吊りとは、型彫りを行う際に型が脱落しないよう、あえて彫り残さなければならない部分のことです。
一般的に吊りは作品の粗としてみなされることが多いですが、稔次郎はその吊りをデザインの一部に取り込んだかのような型を作り、むしろ吊りが必要不可欠であるかのような魅せ方を取り入れました。
また、作品のモチーフには、京都の自然や風景を取り入れたものが多いのが特徴で、代表作には、京都の紅葉と秋草の風景を取り入れた「紅葉と秋草模様着物」、竹林の風景を黒地の着物に描いた「竹林図着物」などが挙げられます。
稲垣稔次郎の着物の価値
稲垣稔次郎の着物は、美術品として扱われる程価値が高いものです。過去、稔次郎の着物や帯を集めた個展が何度も行われ、作品集も出版されています。
稔次郎はすでに没後50年を数える往年の作家のため、残存する作品の数も限られているため希少価値が非常に高まっています。
稔次郎は人間国宝に指定された1年後に悪性腫瘍により逝去してしまったため、指定された後の作品となるとさらに数が限られてきます。
ただし、作品自体が年を経ているため、着物の状態により買取価格は大幅に変動します。状態の良い作品であれば、30万円〜50万円程度の高値がつく場合もありますし、状態が悪い場合には、2〜3万円程度の買取価格になってしまうこともあるようです。
同時に稲垣稔次郎が製作した型紙だけを利用した着物も存在します。それらの着物も比較的価値は高く、高価買取の対象になります。
もし自宅にある着物の中に稔次郎の証紙がついたものがあり、利用しないのであれば、保存状態が悪化する前に早めに売却に出すことをおすすめします。
買取を依頼する際は、着物の専門知識のある買取専門店に査定を依頼することが重要です。専門知識のある買取店であれば、着物の価値を正しく判断し、適正な価格で買い取ってもらえることが期待できます。
また、稲垣稔次郎以外の作家物や種類ごとの着物の買取相場について知りたい方は、「着物の種類や素材別の買取相場まとめ!高く売るコツは?」を参考にしてください。
稲垣稔次郎の着物を売るのにおすすめの買取専門店
バイセル
稲垣稔次郎の着物を売るのにおすすめする買取専門店はバイセルです。
稲垣稔次郎の着物は、希少価値が高く、状態の良いものであれば30万円から50万円程度での買取が期待できますが、着物の知識がない店舗やリサイクルショップでは、稲垣稔次郎の着物の価値が分からず、適切な査定額にならない可能性が高いと言えます。
バイセルに査定を依頼した場合は、着物の知識が豊富であるプロの査定士が稲垣稔次郎の着物の価値を見抜き、適切な査定額を提示してもらうことができます。
バイセルは他店でも1円でも安かったら返品可能を掲げており、稲垣稔次郎の着物も高価買取が期待できるため、まずは気軽に査定依頼してみることをおすすめします。
また、さらに詳しくおすすめの着物買取店について知りたい方は、「着物買取おすすめランキング!評判や口コミから35社を徹底比較!」を参考にしてください。