柿本市郎とは?
柿本市郎は昭和12年(1937年)石川県金沢市に生まれ、数多くの著名な職人を輩出してきた石川県立工業高校で図案を学び、高校を卒業後に加賀友禅作家の金丸充夫氏の弟子になり、加賀友禅の世界に入りました。
石川県立工業高校では人間国宝の木村雨山から直接指導を受けていたこともあり、柿本市郎の作品は木村雨山の影響を強く受けています。
昭和42年(1967年)に加賀友禅作家として独立し、昭和54年(1979年)に第1回伝統加賀友禅工芸展で銀賞を受賞、昭和56年(1981年)に第7回加賀友禅新作競技会で石川県知事賞を受賞しました。
昭和61年(1986年)には 第8回伝統加賀友禅工芸展で金賞を受賞し、第一級の加賀友禅作家として認められるに至りました。
平成2年(1990年)に加賀染振興協会の理事に就任し、平成6年(1994年)に石川県指定無形文化財・加賀友禅技術保存会会員に認定され、加賀友禅の重鎮として地位を確立しています。
柿本市郎は写生にじっくりと時間をかえることで知られており、真剣に写生を行うことが加賀友禅作家の基本であると述べられています。柿本市郎の作品は写生調で自然の美しさをそのまま切り取ったようなデザインが特徴で、高い人気があります。
柿本市郎の着物の価値
柿本市郎は加賀友禅を代表する作家であるため、柿本市郎の作品は加賀友禅の中でも価値が高いです。
柿本市郎は石川県指定無形文化財・加賀友禅技術保存会会員であるため、証紙や落款で柿本市郎の作品であることが証明されると高値買取が期待できます。着物が入っていた桐箱もあれば、必ず一緒に売るようにします。
柿本市郎の着物の買取価格は作品や買取店によって違いがありますが、本加賀友禅の最高級手描き訪問着は70万円で取引された事例があり、未使用の本加賀友禅の色留袖は28万円で取引された事例があります。
本加賀友禅の袷色留袖は10万円で取引された事例があり、柿本市郎の着物は10万円以上の値段が付くことが十分期待できます。
また、柿本市郎の作品は帯も高値で取引されており、浜ちりめん地を使用した加賀友禅九寸名古屋帯は30万円近い値段で販売されていますので、買取価格も高値になる可能性が高いです。
柿本市郎が手掛けた作品は非常に多く、数多くの本加賀友禅の作品が市場で流通しています。正確に価値を見抜くには査定士の技量にかかってくるため、高値で売るには査定士の技量が高い買取専門店で査定を受けることが大切です。
また、柿本市郎以外の作家物や種類ごとの着物の買取相場について知りたい方は、「着物の種類や素材別の買取相場まとめ!高く売るコツは?」を参考にしてください。
柿本市郎の着物を売るのにおすすめの買取専門店
バイセル
柿本市郎の作品を売るのにおすすめする買取専門店はバイセルです。
柿本市郎の着物は70万円で取引されたことがあるほど高価なものですが、着物の知識がない業者やリサイクルショップに査定を依頼した場合、柿本市郎の着物の価値を見抜けず、大幅に損をしてしまう可能性があります。
バイセルに査定に出した場合は、着物の専門知識がある査定士が、柿本市郎の帯や着物の価値を見抜き、適切な査定額を提示してもらうことができます。
バイセルは他店でも1円でも安かったら返品可能を掲げており、柿本市郎の着物も高価買取が期待できるため、まずは気軽に査定依頼してみることをおすすめします。
また、さらに詳しくおすすめの着物買取店について知りたい方は、「着物買取おすすめランキング!評判や口コミから35社を徹底比較!」を参考にしてください。