喜多川平朗とは?
喜多川平朗は1898年、京都府生まれの染色工芸家です。
1921年京都市立絵画専門学校日本画科を卒業すると、父に就いて織物製織技術を学び、1927年に家業を継いで400年以上の歴史を持つ有職織物の老舗、京都西陣織りの俵屋の17代目を務めました。
また、大正から昭和にかけ、正倉院の資料調査整理などで刺激を受けると、古典染織の研究に没頭し、1931年には正倉院裂(ぎれ)の調査を行い、錦(にしき)、綾(あや)、羅(ら)といった、古代の織技や染色技法の復原に挑戦します。
中でも衰退していた古代以来の羅を体系立てて復元し、1956年に羅の重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定されました。
この羅は中国から伝来したものの、室町時代以降途絶えていたもので、織りの構造が複雑なばかりでなく、糸の材質、染料、織り方もその解明に困難を極めましたが、これを復元したことにより、和装の世界に大きな功績を残します。
さらに1960年、喜多川平朗は「有職織物」の重要無形文化財保持者にも認定されています。
有職織物も中国から伝来したもので、平安時代に和様化されると公家や貴族などが取り行う儀式の装束として用いられたものですが、正倉院の染織品を研究し、この技法の復興にも努めていた喜多川平朗は、こちらでも高く評価されました。
このように複数の認定を受けることは極めて稀で、喜多川平朗の技術が卓越したものであったことがうかがい知れます。
さらに、喜多川平朗は今日の生活に適した、紋織技法における第一人者でもあり、文化功労者賞も受賞するほか、1949年には喜多川平朗を題材とした記念映画「有職織物・喜多川平朗の業」も制作されました。
また、喜多川平朗の息子であり、俵屋の18代目を務める喜多川俵二も1999年、親子二代にわたり「有職織物」において人間国宝認定を受けています。
喜多川平朗の着物の価値
重要無形文化財保持者である喜多川平朗の作品は極めて価値が高く、状態のよいものであれば帯でも20万円以上の値がつく場合があります。
また、中古であっても買取価格は、帯で5〜10万円、着物ともなれば稀に数百万円の値がつくこともないわけではありません。
とはいえ、喜多川平朗の活動時期を考えると、現存しているものは比較的古いものであり、状態によっては高値買取が望めないことも少なくありません。
このため、インターネットオークションでの平均落札額をみるとおよそ5万円程度が相場となっています。ただし、この価格も平均としては比較的高額といっていいでしょう。
また、喜多川平朗以外の作家物や種類ごとの着物の買取相場について知りたい方は、「着物の種類や素材別の買取相場まとめ!高く売るコツは?」を参考にしてください。
鎌倉芳太郎の着物を売るのにおすすめの買取専門店
バイセル
喜多川平朗の着物を売るのにおすすめする買取専門店はバイセルです。
喜多川平朗の作品の価値は非常に高く、状態が良いものであれば、帯でも20万程度になることがありますが、着物の知識がない店舗やリサイクルショップでは、喜多川平朗の帯や着物の価値が分からず、不当に安い査定額になってしまうことがあります。
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バイセルは他店でも1円でも安かったら返品可能を掲げているため、喜多川平朗の着物も高価買取が期待できるため、まずは気軽に査定依頼してみることをおすすめします。
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